30代ひねくれ者のがん闘病記

性格が捻くれた30男のがん闘病記 転移で第2章スタート

4/14 認知の歪み

知られたくない人にこのブログをバラされたという事実を知ってから、僕は余りこのブログに弱音を書かなくなった(と思う)。「完全に信頼している人とその家族」か「全く知らない人」以外の「現実世界の中途半端な知り合い」に自分の赤裸々な心情を読まれることがどれだけ厭なことかは分かるだろう。一時はブログを閉鎖することも考えたが、一人相撲かもしれないが、僕が予想に反して頑張っている姿を書くことで、ささやかな抵抗を試みることにしたのだ。

だが今は、それを分かっていながらも苦しみを吐露せずにはいられないくらいの苦しい心情だ。苦しみをどこかに吐き出さないと頭がおかしくなりそうなのだ。

 

病気そのものに立ち向かっているときはやることが明確で、それなりの健全な精神状態でいることができた。皮肉なもので病気が治るにつれて、病気との共存をしつつ独りで生きて行かねばならないが上手くいかないという現実を味わううちに、少しずつ精神が参ってきたようだ。

自分の頭がおかしくなりつつあるのを自覚しつつも、生きるために仕事をして、会いたくもない人に無理して会って、作りたくもない笑顔を作って、真っ当で健康な社会人のふりをして生きている。本当に毎日苦しい。

そもそも仕事以前に、日常生活を送っているだけでも針のムシロなのだ。全ての人間が落ちぶれた自分をバカにしている気がする、今後の人生いいことなど何もない、どんな努力をしようが運命には抗えない、結婚生活すら上手く行かなかった自分には必要としてくれる人などいない、必ず病気が再発して死ぬに違いない…などの思い込みに支配されている。恐らく「認知の歪み」の典型例だろうか。そう、「思い込み」だとは自分でも理解しているのだけど、考えに取りつかれてしまっている。どうしようもない。

 

完全に狂ってしまえばどれだけ楽になれるだろうかと思う。しかし、自分自身を客観的に分析できているから苦しい。希望を捨ててしまえればどれだけ楽になれるだろうかと思う。しかし、人生の希望を捨てきれないから苦しい。

友人でもいれば相談でもして、少しは精神的に楽になれるのだろうが、残念ながら地元には信頼できる友人はいない。全員東京にいる。かと言ってカウンセリングを受ける気はしない。相手の質問の意図が分かってしまって話すことが馬鹿らしくなるのだ。

信頼できる人と話しがしたい。

3/29 一応の近況

最近は特段書くことがない淡々とした日常を送っている。朝起きて、体調が良ければ少しランニングをして、仕事をして、人よりも早めに寝る。体調が悪いときは全てを休んで一日中寝る。この繰り返しだ。

味覚の問題のせいで外食はほとんどしないし、体調が悪くなるので酒もほとんど飲まなくなった。体調以外での日常の変化がない。本当に淡々としている。

 

しかし、この状況で幸いにして仕事をこなしていくことにも慣れ、会社もそれを許容してくれている。仕事もこの状況にしては順調と言ってもいいだろう。給料は勿論かなり下がったが、自分の食い扶持は十分過ぎる程に稼ぐことができている。

もともと物に金を遣わない性質だったが、それに輪をかけて、酒も飲まない・外食もしない・旅行もしない…で金を使う機会がそもそもないのだ。だから、当面の金銭面は問題なさそうだし、病気以外で衣食住の危機に晒されることはなさそうだ。

 

生活基盤が安定し出すと問題になるのは、「自分は何のために生きているのか」という悩みだろう。消極的な理由としては、今は母親に心配を掛けないために生きているともいえる。しかし、食事の楽しみも無く、家庭の歓びも無く、単純に病気に抗い、生き永らえるためだけに生きていることに何か意味があるのだろうか。

「生きているだけで素晴らしい」と誰かが唄を詠む。それは「生き永らえているだけでは何の価値もない」という価値観が前提としてあるから、わざわざ唄い上げなければならないことなのだ。そう、生きているだけでは何の価値も無い。

そんなことを日々考えていると、昔ほどの深い絶望感は無いものの、ぼんやりとした無気力感に苛まれることが多くなったように思う。

2/20 電験1種試験当日

電験1種の関係で訪問してくれている方も増えているようですが、せっかく有益な情報を期待して訪問してもらったのに、陰気な闘病ブログで申し訳ない限りです(笑)とは言え、なかなか思い入れの深い合格となったので、記憶が残っている間に試験当日の記録でも残しておこうと思います。自分自身も後で読み返したときに、あの時期は大変だったけど頑張ったなぁと感慨深いものとなるはずなので。

 

電力・管理

【問1】
ざっと全体を眺めて計算問題の少なさに落胆するも、唯一と言っていい計算問題の本問に取り掛かることに。今年は水力発電にヤマを張っていたのでこれは楽勝。定義式を丁寧に当てはめ、15分くらいで解き上げる。細かいミスもあり、25/30くらい。

【問6】
論述だけど解き易そうな感じ。所内損失をボイラー損失・復水器損失などとしてドヤ顔で書き上げるも、模範解答をみると盛大に間違っていた模様。それ以外は無難に解答し、15/30くらい。

【問5】
論述と計算の融合で取っつきにくそうに見えるが、冷静になれば単純な問題。TCRがどうしても思い出せなかったが、それ以外は無難に書き上げ、20/30くらい。

【問4】
全く見たことのない新作問題。しかし、新傾向の計算問題は実は簡単だと個人的には思っているので、挑戦することにした。(1)から皆目見当がつかず、(1)を間違うと芋づる式に間違う形式だったが、(1)を間違っている前提で、(2)以降は直前まで変数で計算し、最後の最後に数値を代入する戦略で行くことにした。考え方があってれば部分点は貰えるだろうと。模範解答をみるとやはり(1)から間違っていたが、全体の考えと(3)は完全に合っており、15/30くらい。この問題に挑戦した人は少なかったようなので、甘めの採点が付いたと思う。

機械・制御

【試験前】
配られた問題用紙を見ると、自動制御にグラフを書く箇所が用意されている。これはナイキスト線図か根軌跡だろうけど、スペース的に多分根軌跡だなと予想して、試験開始までの待ち時間に必死に学部時代の記憶を呼び戻す。しかし、10年以上前のことなのでかなり忘れており、かろうじて思い出したのは、典型例が漸近線に向かって収束していく片側だけ双曲線みたいな感じだったなぁということ。試験前にじっくり落ち着いて考えたこの時間が本当に良かった。

【問1】
問4の自動制御をみるとやはり根軌跡で、初出題なので定義式など丁寧な誘導がなされている。しかし、これは時間が掛かりそうだと思い、問1の誘導機から手を付けることにした。ラッキーなことに個人的には楽勝なトルクの最大値問題。しかも、厄介そうな(c)は過去に出題例があり、答えがすごく綺麗な対象式になるので、印象に残って答えを覚えているというラッキーぶり。(a)(b)を5分で解き上げ、(c)も計算しているふりをして、答えをほぼいきなり書く。(d)は間違いのないように電卓で3回くらい検算して終了。15分くらいで完答。相電圧というのを見落として係数の3を忘れていたので、25/30くらい。

【問4】
本丸の根軌跡に挑戦。やはりかなり忘れていたが、定義をみると記憶が少しずつよみがえってくる。丁寧に丁寧に時間をかけて計算して、予想通りの軌跡が得られたのでここで完全に脱力。しかし、微妙な見落としもあり25/30くらい。

全体

終了後は計算が合っているか自信が持てず、何とも言えない感じだったが、模範解答と比較すると、厳しめにみても125/180は取れていた。合格点が102点だったので、結果的には余裕のある合格だったと言える。ただ、全体的に難化しており、技術的な知識を総合的に問うような問題形式だったことや、一般受験層が解けない分野が、自分が対応できる分野だったり、そもそも答えを覚えていたりと、ラッキーがあったのは否めない。

しかし、去年の2種と比較して肉体的にも精神的にもかなり復調しており、トータル3時間試験に集中できたことが何より大きかった。また、長年の闘病生活により、資格試験ごときでは動じない精神力を身に着けることができていたのも大きかったようだ。

2/7 電験1種の結果

先日受験した電験1種に合格していた。

なお、今年の合格人数は86人。受験者数は2093人だから、合格率4.1%と狭き門だった。そして、九州での合格者は7人だったから、各県に1人ずつ。つまり、嗅神経芽細胞腫の発生確率と同じ程度の合格者しか毎年生まれないことになる。そう考えるとかなり貴重な資格だと言えるだろう。しかし、自分の病気の発生確率を珍しさの基準とする癖はそろそろ直したほうがいいな(笑)

 

これで原発だろうが何だろうが、日本国内全ての設備で管理者になることができる。一般の知名度は皆無に等しい資格だが、業界では「神」にも等しい威光を得ることができる。実際のところ、電験1種に実用的な意味なんてほとんど無いのだけど、肩書きとしての意味は非常に大きい。僕もそれを承知で取ったのだ。再発・再入院となって失職したとしても、電気業界の予備校講師として電験1種の肩書で再就職はできるだろう。また一つ保険ができたのが嬉しい。

正直なところあの短い準備期間で受かったのが信じられないところであるが、問題の傾向にも助けられた部分も大きい。だから、受かっても驕ることはない。

でもしばらくはこの喜びを噛み締めることにしよう。

 

12/12 境界線

先日PET-CTを受けてきた。相変わらず高いが背に腹は代えられない。結果は「特に問題なし」。今年は穏やかな年末を迎えることができそうだ。

がんセンターに行くと、長い待ち時間を少しでも有意義に過ごすために、同病の方のブログをチェックするのが習慣になっている。その中の一つに、自分が発病した時から見ているブログがある。2年前から更新が無くなっていたので気になり少し調べてみたら、残念ながら亡くなっていたようだ。

いつも以上に苦しい気持ちになり、なぜ自分は生きているのだろうと考えてしまった。この方と僕の境界線って何だったんだろう。発病時期も病状も年齢も、僕もこの方もほとんど変わらないくらいだった。

 

大学の語学の授業で非常に印象に残っている回がある。

なぜそのような流れになったかは忘れてしまったが、トルストイの「戦争と平和」というタイトルは「失敗した意訳」であるという話だった。実際、ロシア語の原タイトルには「戦争」も「平和」も一文字も出てこないようだ。

日本人は戦前・戦後という強烈な経験があるために違和感なく「戦争と平和」というタイトルが受け止められているが、戦争と平和と言う状態は、それぞれ白か黒の一方の状態のみで存在するわけではない。両者の境界線が混ざり合いつつ、我々はその境界線の上で営為をなしているのだ。要約するとこんな感じだった。

僕はその当時、大学の教養過程で、存在を確率で表現するという量子力学の考え方を学んだばかりということもあり、この主張を違和感なく受け入れることができた。

それも相まって、僕の中でかなり印象に残っている話だ。

 

「生と死」も似たようなものなのだろうと思う。

同時期に発症し、僕は生きていて、この方は亡くなっている。でも、パラレルワールドがあって、そこでは多分逆なんだろう。そんなもんだ。理由なんてない。二人とも境界線の上にいて、たまたま僕の境界線が「生」にぶれてくれた。それだけなんだろう。

そして、病気になってからは「死」を意識しない日はない。遺書は常に準備していて、必要に応じて更新している。量子力学的に言えば、今は「死40・生60」くらいだろうか。感覚的には1年前は「死70・生30」くらいだったから大分復活してきたようには思う。これが「死20・生80」くらいの感覚に戻れば、まぁ寛解と言えるのだろうか。

まだ先は長いが、この方の分まで生きることができればと思う。

次の検査は半年後。少しずつ。一歩ずつ。