30代がん闘病記

転移で第2章スタート

11/8 弁理士結果

弁理士試験に最終合格した。

これで病気が再発して無職になっても、肩書上は「弁理士」として死ねる(笑)実はこれも士業取得の目的の一つでもあった。何を先のことを…と思われる方も多かろうが、そんなに先のことでもない可能性のある僕にとっては、どうやって死ぬかを考えておくのは結構大事なことだ。

別に僕の家系は大層なものではないが、最終的に無職で死んでも、葬送してくれる家族・親戚に恥をかかせないくらいの肩書ができたのではないだろうか。

 

手ごたえからして合格だろうとは思っていたが、やはり嬉しいものだ。

だが、頑張れば結果が出るというのは、ある意味当たり前すぎて当たり前すぎる。病気なんか、頑張ってもどうしようもないことばかりだった。僕はもう人生で病気以上の激烈な経験をすることはないのだろう。それが良いのか悪いのかは分からないが。

 

しかし、取得したはいいが、転職に成功したという事実を考えると、弁理士という資格もそこまで重要さを持ち得なくなってしまった。僕は無職になることを想定し、かつ転職先が見つからないという前提で弁理士試験を受けていた。

そして、何より転職先の会社には、無茶苦茶な人生の僕を信用して、雇ってくれた大きな恩義がある。にもかかわらず、入社してすぐに弁理士の資格をかざして異動を望むのは、信義則に反することだ。

ただ、入社後、がんが再発した場合の切り札としては十分使えるだろうし、そうでなくても、ハッタリとしては有用なので、存分に活用するつもりだ。

 

この数年、色々な出来事がありながら、よくも腐らず・諦めずに頑張ったものだと思い返している。正直、悔しいこと・苦しいこと・泣きたいことばかりだったが、この合格をひとつの区切りとして、これから新しい人生を頑張って行ける気がする。

11/4 事実は小説よりも

この件について。

少し日記でも触れたが、転職が決まった。

そして、その内定先が信じられない会社だった。新卒でも入社できたかどうか分からないレベルの会社だ。しかも(元?)がん患者ということは明らかにして選考に臨んでいる。

これほど絶望的な条件を覆して、この会社に中途採用されるというのはどれ程の確率なのだろうか。前例が全くないというのが実際のところだと思う。システマチックで例外を許さないであろう超大企業にもかかわらず、これほどのギャンブルをしてくれた会社には感謝している。

 

バブル末期に「お金がない!」という織田裕二主演のドラマがあった。無職で貧乏人の主人公が有り得ない方法で一流企業に入社して、トントン拍子に出世していくというコメディーだったのだけど、子供ながらにこんなの都合よすぎて有り得ないよねと思って見ていた。しかし、ドラマの中の織田裕二に起こったことよりも、非現実的で有り得ないことが自分の身に起こったのだ。

2年前はハローワークで転職先を探そうとしていたのが信じられない。

僕にとって平成最後の年は、人生最高の年となるかもしれない。

10/28 長崎は今日は晴だった

長崎の叔父・叔母に退院後の挨拶に行ってきた。 

病気の経過は順調であること、結婚をし、離婚をしたこと、転職先が決まったこと、各種試験に合格したこと、全体としてはそれなりに順調であることを報告した。泣いて喜んでくれた。これまでは電話での細切れの報告だけだったので、心配をかけ通しだったが、やっと顔を見せて話すことができて僕も安心した。

 

久々に長崎観光もしてきた。長崎って独特の雰囲気があって、かなり好きな街だ。亀山社中跡にも行ってきた。亀山社中が長崎にあるって知らなかった(笑)

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こういう日常の出来事をブログに書くのは本当に久しぶりな気がする。というかブログに書けるような出来事が急に増えてきた。今までは書く余裕もなかったし、特段書くこともなかったわけだから、人生が軌道に乗り始めたってことなんだろう。

今は転職前で時間が比較的あるので、11月中は、お世話になった方々への全国行脚をしようと思っている。知り合いの皆様、都合が合えば会ってやって下さい。

10/27 恩人との再会

新卒で入社した会社の人事の方が福岡に来たので、博多で飲んできた。僕を採用してくれた恩人でもあり、社会人としても尊敬できる方であったので、お誘いがあったのはとても嬉しかったし、辞めた後もこうやって付き合いがあることは本当に有難いことだ。

新卒の就活なんて、世間知らずの学生が、自分を多少偽って高く売ろうとしたりするもので、やっぱり僕も大口を叩いたり、恥ずかしいことも言っていたりする。その方は全部僕の言ったことを覚えていて、僕の情けない部分も知っているし、病気のことも知っているので、何も隠すことがない。自分を偽る必要がないのは気楽なものだ。

忙しい中、長い間お付き合い頂いて、楽しい時間を過ごせた。普段は飲まない酒も飲んでしまって、千鳥足になりながら帰宅するという経験を久しぶりにした(笑)それくらい楽しかったのだろう。

 

僕は結局この会社を辞めているわけで、この人事の方と、僕が尊敬していた上司には、不義理をしたという後ろめたさも、やはり未だに残っている。それなりに評価されていた状況で、退職後に病気になった件も含めて、あの辞めるという選択は正しかったのだろうか、などは未だに時々考えたりもする。

しかし、僕が辞めて以降も、会社を辞めた同期や上司もそれなりに多くいるようだし、みんな悩みながら生きている。人生で正しい選択なんか無いのだ。 

そして、僕から見れば、スーパーエリートで、人生も順風満帆に見えたその方も、人知れず悩み、何かを捨てる決断もしている。しかし、そんな苦労はおくびにも出さず生きている。ここ数年は、僕は自分のことだけを見つめ続け、自分だけが不幸であるような考えに囚われていたが、苦労を背負っていない人間などいないのだ。

 

僕が結構好きな言葉で、

幸福な家庭はみな同じように似ているが、

不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ。

というトルストイの言葉がある。

多少苦しんで生きているくらいが、人間らしい生き方なのかもしれない。

 

因みに、先日日記で書いた「信じられない出来事」とは、転職が決まったということであり、その転職先が信じられないレベルの会社であったという話だ。そして、僕は新卒で入社した会社よりも、更に大規模な組織の中に戻ろうとしている。

一時は悩みながらも出ていった会社よりも、いわゆる「歯車」としての役割がいっそう求められる会社に入社することにはなる。となると、新卒の会社を辞めなければよかったとのにという声が絶対に出てくるのだけど、その時々で自分の最善と思う選択をしていく以上、矛盾した選択になることは避けられない。

人生なんか自己矛盾の集合体だ。

自分の過去の考えを、否定しつつ、咀嚼して、再構築することこそが人生であると思う。

10/21 口述試験

弁理士口述試験を東京で受験してきた。

口述試験では条文の暗唱・条文の趣旨・判例・事例問題が口頭試問の形式で行われる。僕は、趣旨・判例・事例問題は得意だったのでその心配はしていなかった。これらはキーワードを組み合わせて適当なことが言えるから、その場で相手の反応を見ながらの辻褄合わせで何とかなってしまう。

しかし、条文の暗唱だけは全くやる気がおきなかった。僕は昔からこういう無意味な暗記が死ぬほど嫌いなのだ。見れば分かることをなぜ覚えなければならないのか?そして、この試験に何の意味があるのか?とそもそも論で考えてしまうので、全くやる気が起きずに、直前まで完全に放置していた。司法試験なんかでも条文の暗唱をして合格しました、みたいな人がいるが、絶対に無駄な作業だと断言できる。同じことをやって落ちた人の方が圧倒的に多いはずだ。

とは言え、厭で仕方がなくとも覚えざるを得ない。自分で言うのも何だが、僕の追い詰められたときの集中力は凄まじく、本番1週間前から条文の暗唱を始め、最終的には何とか形にして、本試験に臨むことはできた。

結果としては、ほぼ間違いなく通過しただろうという出来だ。

 

自分はもう人生に期待をしていないから、別に落ちてもいいやという気持ちがあり、全く緊張しないと思っていたのだが、実際に試験に臨むとそれなりに緊張してしまった。

緊張するということは、上手く行って欲しいと願っているわけで、僕は人生を諦めていると言いつつも、「まだ、諦めずに、まともな人生を送りたい」と心の底では望んでいるのだな、と不意に分かってしまって、そんな自分に思わず笑ってしまった。

 

試験会場である都心の超一流ホテルの待機部屋からは隣の公園が一望できた。そこには日向ぼっこを楽しむ子供連れの家族の幸せ像があって、その幸せそうな家族を秋の穏やかな陽の光が祝福している。僕にはもう一生こういう「典型的な幸せ」は手に入らないんだろうなぁと少し感傷的な気持ちを覚えた。

そして、待ち時間の手持ち無沙汰にかまけて、ボーっと件の家族連れを見ていると、僕が居るホテルが影となって、次第に公園に闇を落としていく。家族は光の当たる場所に移動しようとするが、結局公園の全てが影に覆われてしまった。

そう、光と影が入れ替わるのなんて一瞬なのだ。そして人生の全てが影に覆われて、何をやっても抜け出せないこともある。僕はこの数年で厭と言うほど味わってきた。あの幸せそうな家族連れの人生も、どうしようもない絶望に覆われることもあるのだろうか。

まぁ僕は僕なりの幸せを見つけて生きて行くかね。