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30代ひねくれ者のがん闘病記

性格が捻くれた30男のがん闘病記 転移で第2章スタート

5/26 ご無沙汰

悪い癖が出て、サボりがちになってしまった。

しかし、ブログの性質上、書くことが増えるということは、それは病気そのもの・もしくは病気に起因する出来事により苦しんでネタが増えているということだから、必ずしも喜ばしいことではない。別に病気関連に縛られることなく、いいことがあれば書いていけばいいだけの話なのだが、いいことも特段にないというのが現実だ(笑)

つまり、以前も同じことを書いたかもしれないが、書くことが無いということは、良くも悪くも安定はしているということなのだ。…という長期に更新をサボった時の恒例、長ったらしく、婉曲的な言い訳をさせてもらった。

 

しかし、久々のいいこと。

先日、九州がんセンターに入院中に仲良くなった方とお会いすることができた。入院中に比べると体力も大分戻られたようで、精力的に活動されており嬉しくなった。自分と近い病気の方が頑張っているのを見ると、とても元気づけられる。入院中はかなり弱られていたけど、本当はこんなにもエネルギッシュな方だったのだ。お陰様でエネルギーを充填することができた。

しかし、一方で自分はいつまで足踏みをしているのだろうかという気持ちにもなった。できないことにばかり目を向けるのではなく、できることに目を向けていこうと思ってはいるものの、どうしても病気以前の自分と比較して、勝手に自己嫌悪に陥ることが多い。

もう1年近く経つのだ。去年の今頃転移が分かって、絶望して、何かもう色々と人生が嫌になって、外科手術して、放射線当てて、味覚が無くなって、頭痛が酷くて、離婚して、ボロボロになって、何とか復職して…と色々あった1年だった。

これからは、できないことばかりに目を向けるのではなく、できたこと・できることに目を向けていくべきなのだ。そのように生き方を変えていくことこそが、病気になった数少ない意味というべきものだろう。

 

そして、あまり間も開けずに、更新していければと思う。久々の更新にもかかわらず、何のひねりも落ちもない内容で失礼しました(笑)

4/16 リンゴ

放射線終了から234日目。

昔からよく人に道を聞かれる。
なぜかは分からない。

社会人になり外国人に道を聞かれるようになった。
なぜかは分からない。

今日も道を聞かれた。聞かれるのは中東系が多い。
なぜかは分からない。

 

擦れ違いざまに目が合って、それは突然に。

Excuse me. Do you know Apple Shop?

何のこっちゃ?リンゴ?と一瞬思うも、彼の手元のiPhoneから推し量る。

You can see the signal over there. OK? Turn left and go straight!

我ながら何ともたどたどしい英語だ(笑)

Thank you!と言われて、何か嬉しい感覚がする。

 

僕は長期の病気と離婚により、人から必要とされるという感覚を久しく味わっていないことに気付いた。だから、こういう小さなことでも人の役に立つと嬉しいのだ。人に必要とされてこその人生だ。

今は復職したものの、仕事で役に立てている実感は全くない。

賽の河原のような人生だけど、諦めずに積み重ねていこう。

4/10 桜

放射線終了から228日目。

僕が昔住んでいた家の近所は桜の名所だった。近くを通ることがあったので、花見がてら昔の家はどんな感じだったかと少し覗いてみることにした。

昔のボロ家を見て、色々な思い出がよみがえってきた。ここに住んでいた頃は、父親がまだ働けていて、裕福ではなかったがそれなりに幸福な日々だったように思う。僕はもうこれからの人生で、あの頃のような「普通の日常」を手に入れることなどないのだなと思うと、胸がとても苦しくなった。

母親と父親に挟まれて、手を繋ぎながら桜を見に行ったことを思い出す。

 

僕は自分の病気やそれに伴う離婚などの苦痛には耐えることができる。自分がただひたすら我慢すればいいだけの話だ。ただ、母親に対してはいつも申し訳なく思う。

母親にはもう親孝行らしい親孝行もしてやれないのかもしれない。孫をみせてやることも難しいのかもしれない。母親より先に死んでしまうのかもしれない。そう思うと、とても申し訳ない気持ちで一杯になり、涙が出てくる。

 

桜は儚いからこそ美しい。と誰かが言った。

でも泥まみれで必死に生きるドブネズミも美しい。

足掻きながらも頑張るしかない。しんどいけど。

3/18 現状

放射線終了から206日目。

リンパ郭清・放射線治療から半年、陽子線治療からは2年近く経過した。参考になるかどうかは分からないが、最近の体の調子でも書いておこうと思う。

元々視力が悪いのもあるが、陽子線の影響で極端に視力が下がったという実感はない。僕の腫瘍は目の方に行かずに、脳に方に向かっていたというのも関係しているだろう。ただ、陽子線の副作用で視神経が焼けているので涙が酷い。

嗅覚は相変わらず無い。多分一生戻らないのだろう。

鼻水は、前に比べると幾分かマシになったが、相変わらず流れ落ちてくる。ただ、鼻づまりは殆どない。鼻水が激しいのと鼻づまりが酷いのはどっちがマシなんだろうか。

腫瘍が癒着して塞がっていた鼻の穴が、前回の入院で開通しているので、少しは呼吸が楽になった。イビキも随分と減ったようだ。

放射線の影響で唾液が減っていることもあり、口腔内の定期的なケアが必要不可欠とのことなので、がんセンターで紹介してもらった歯医者に定期的に掛かっている。

半年経って、唾液の量は大分戻ってきたようだ。放射線の影響が歯茎に及んでいるのか、歯根が部分的に露出するようになってしまったため、プラスチックで埋めている。

嚥下力が落ちているのか、食事の最中にむせることが多くなった気がする。

味覚

大分戻ってきたと思うが、甘味・塩味は5割くらいしか感じない。この2つが一番戻って欲しいのだが。もう放射線治療から半年近く経つ。果たして戻るのだろうか。

リンパ痕

医者の友人曰く「かなり綺麗な傷口」とのことだったので、先生の腕がよかったのだろう。しかし、違和感は半年経った今でも消えない。きっと一生消えないのだろう。顔面の一部麻痺は相変わらず続いている。

身体本体

リンパ切除のせいなのか、体温調整が上手くできなくなったように感じる。寒気を感じることが多くなり、少し辛い物を食べただけで汗が止まらないなどチグハグな感じだ。

食欲は少しずつ戻っているので、体重が60kg後半くらいまで戻った。

不定期に頭痛が襲ってくる。何もできないくらい頭が痛い時もある。ずっと頭にモヤが掛かっているような感じがして、病気前に比べると頭の働きが鈍った気がする。医者が言うには脳に影響が及ぶことはないとのことだが、僕の実感としてはある。

というわけで

これでもかというくらいに首から上に影響が出ている。正直言って結構しんどい。でも、傍からは、鼻栓をしている以外は健康人に見えるようだ。いいのか悪いのか。

 

僕はこれだけの苦痛が重なっているにも関わらず、気が狂わずに生きている自分が信じられない。いや既にもう狂っているのかもしれない。狂っているからこそ、この針のムシロが敷き詰められた道を淡々と進んで行けるのだ。

3/2 定期健診

放射線終了から190日目。

色々とバタバタしており、更新が滞ってしまった。最近は容態も比較的安定しているので、更新がなくても突然死したとかではなく、サボっているだけだと思って欲しい(笑)

 

今日は九州がんセンターにCTを受診に行ってきた。CTは、MRIやPET-CTと違って微妙に費用が安いのが助かる。PET-CTなんか3万近くするからね。

結果は良好で、腫瘍も引き続き縮小傾向にあるとのこと。また、特に転移も見られず。ここ3ヵ月でかなり状態が良くなっているようだ。前回のCTスキャンと比較しても、素人目にも腫瘍がかなり小さくなっているのが分かった。それに従って鼻水の量もかなり減ってきている。これが地味に一番助かる。

 

さて、状況が多少はマシになりつつあるということで、拠点を福岡から東京に戻すべきかどうか迷っている。僕が病気になる前は、母親を福岡に一人残していることが気掛かりで、どの道いずれは福岡に戻るつもりでいた。だから、病気をきっかけに福岡に完全に軸足を移すというのも悪くない選択なのかもしれない。

しかし、色々検討はしてみたものの、福岡である程度の収入を得つつ働くのはほぼ不可能であることも分かった。勿論母親のことは気掛かりだが、今の僕は人を支えられる状況ではない。何より今は僕が経済的に立ち直るのが最優先だろう。このまま福岡に残っても、親子共々ジリ貧になっていくしかない。

まだ決めたわけではないが、気持ちは半々くらいだ。福岡は僕の故郷だし、客観的に見てもいい街だと思う。ただ今の僕にとっては苦しい思い出ばかりの街だ。今の僕が福岡に残ったとしても、明るい未来があるとは言い難い。(がんなんだから、どのみち明るい未来なんかないだろうというツッコミはなしで(笑))かと言って、東京に戻って一人で生活するのも、健康の面からは、やはり不安が残る。

どちらの道を選んでも苦労は免れないだろう。しばらく迷おう。