30代ひねくれ者のがん闘病記

性格が捻くれた30男のがん闘病記 転移で第2章スタート

9/14 近況

がんセンターで検査を受けた。問題なしとのこと。とりあえずはホッとした。しかし、寛解まで残り5年近くモヤモヤした気持ちを抱えながら生きなければならんとは。風雲たけし城の〇×クイズよろしく、5年間〇に飛び込み続けないと罰ゲームが待っているのだ。罰ゲームとは、言うまでもなく「死」だ。

完全に確率の問題なので、余り深くは考えない。

しかし、いつ死んでもいいように身辺整理は常にしている。

 

少し良い話題として、電験1種の1次試験を受けて通過した。そんなに勉強してないけど、通ってしまった。1次くらいなら楽勝で通過するだけの実力がついていたみたいだ。積み重ねては崩されの人生だけど、積み重ねた知識と努力は裏切らないのだ。

電験1種は電力会社・鉄道会社くらいしか必要とされない資格なので、取得に実用的な意味は余りないが、電気受験業界で職を得られるという別の道が開ける可能性がある。今の不安定な状態では色んな可能性を絶やさずに作っておくのが大事だと思っている。

因みに電験1種は全国で数十人しか合格者が出ない超難関試験だ。受かれば電気の神様になれるが、まず受からないだろう。しかし、僅かな可能性がある限り2次試験には挑戦はしてみるつもりだ。

なんせ僕は250万分の1を引き当てた男なのだから。

9/1 どうなるかなぁ

退院から1年経ち心機一転と行きたいところだったが…。

定期的に通っている耳鼻科で、鼻の検査をしてもらったところ、肉腫が確認された。血管が通っているので、嗅神経芽細胞腫の一部なのだろうと思う。以前からあるものなのか、最近出来たものなのか正直よく分からない。最近また鼻水が酷くなっていたが、多分これのせいだったのだろう。

丁度来週に九州がんセンターで検査があるので、どの道そこで分かるだろう。

さてどうなるかなぁ…。

正直もう疲れてきたなぁ…。

8/31 あれから1年

そういえば去年の今日退院したのだった。

退院から1年、本当に色々あったなぁと思い返す。

特に最初の3ヵ月は味覚が全く戻らず、それに加えて離婚や、色々辛いことが重なり、本当に何のために生きているんだろうと毎日思っていた。正直こんな目に遭ってまで生き残るなら、最初の時点で死んでしまえばよかったと思ったくらい、相当参っていた。

しかし、そんなことはブログにも書かなかったし、周囲にも辛さを見せたりはしなかったはずだ。本当に死にたい奴は、周囲に対して死にたいって言わないってのは真実なのだなぁ。今はもう完全に落ち着いているので安心して欲しい(笑)

この1年よく耐えてここまで持ち直したものだ。

大した内容ではないが、とりあえず生存報告。

8/15 墓参り

父親の墓参りに行ってきた。

去年は入院していたから2年ぶりだ。

父親が亡くなって10年経つ。僕が学生の頃、ろくに働きもしない父親のことを正直軽蔑していた。しかし、原因は違えど似たような立場になって、父親がの苦しみが少しは分かるようになった。

父方の家系の男(父親・祖父)は皆、60歳前にがんで亡くなっている。うちの家系の男はいい人生を送れない運命にあるようだ。一時はそれなりに高い社会的地位を得ながらも、皆病気というどうしようもない理由により社会から転落していくのだ。

僕は貧乏から努力をして這い上がってきた自負がある。しかし、今回の病気のような、自らの不努力によりもたらされたものでないどうしようもないことが起きると、結局どれだけ努力しようとも、運命には抗えないのだと人生を諦観せざるを得ない。先祖が何か末代まで祟られるようなことをしたのだろうか(笑)

 

祖父・父親は僕と違い、女性を見る目は確かだった。すなわち、僕の祖母・母親はドロップアウトしていく男衆に替わって本当によく家を支えていた。そして何より彼らは子孫をきちんと残している。僕は子孫を残せる予定も今のところない。墓を見ながら、うちの家系もいよいよ僕の代で終わるのかもしれないと思ったりもする。

しかし、僕は祖父・父親と違い、がんになっても今のところ死んでいない。見捨てられ、自信を失い、地べたを這いずり、泥水を舐め、馬鹿にされ、運命を呪い、人生に絶望しながらも、みっともなくても生きるのだ。生きているうちはまだ希望がある。

体が動くうちはまだ悪足掻きをしよう。

来年の墓参りに少しでもいい報告ができればと思う。

7/31 花火

明日は地元の花火大会だ。

3年前は発病前。出張で福岡に来て偶然見れた。

2年前は発病後。元妻と一緒に見た。

1年前は再発後。九州がんセンターの病室で音だけを聞いていた。

この3年で本当に多くのことがあったと思い返す。

 

3年前のように火薬のにおいを感じることは今はできない。

2年前のように伴侶は今はもういない。

しかし、1年前のような深い絶望は薄れた。

今年はどういう気持ちで花火を見るのだろう。

 

来年はより多くの希望とともに花火を見れるように頑張ろう。