30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

11/13 福岡マラソン

放射線終了から82日目。

平穏な日曜の朝の静寂を突然破るヘリコプターの音。何事かと思ったが、今日は福岡マラソンの開催日だった。幸い博多駅前の陥没は特に影響もないようだ。

来年は何とか出場したいと思っているけど、どうなんだろうか。今の状態ではちょっと出場は想像できないが、できるだけの努力はしたい。動けないうちはイメトレくらいはしておくとしよう(笑)しかし、今からわずか2年半前に、僕はマラソンを4時間半で完走しているのだ。その時の僕と今の僕が同一人物だとは、自分でも信じられない。

僕の場合は、精神安定のためにランニングをやっていたという面もあるので、ランニングができないと必然的に精神も余り安定しない。ランニングを続けていた時期は本当に思考が前向きだった。走っているときの万能感が好きで、このまま人生も永遠に走り続けることができるかと思っていた。

皆様ご存知の通り、今の僕の精神は余り上向きではない(笑)体調が良くなって、ランニングが再開できるようになったら、また多少は変わってくるのかとは思う。

 

しかし、ランニングを再開する上での肉体的な障害の数々…

地味に障害になっているのが、唾液が全く出なくなっていることだ。日常でも普通に歩いているだけで、5分後にはもう喉がカラカラになってしまうので、ペットボトルの水が手放せない。唾液の量に関しては、いずれは以前の状態まで戻るのかどうか、全く予想ができない。一生戻らずにこのままの可能性もある。

リンパの手術痕は大分柔らかくなってきたが、むくみと突っ張りに悩まされている。肩こりも尋常ではない。来月診察があるので、その時に診て貰って、必要ならば別途病院に掛かろうかと思っている。

ときどき頭痛と吐き気にも襲われる。不定期だから困る。

鼻水は汗と一緒に紛れるから気にしなくていいだろう(笑)

そして、一番肝心なのが「体力がない」ということ。いかんせん食欲がないのだ。多少の味覚は戻ってはいるが、大抵のものは何を食ってるんだか分からない。だから何かを積極的に食べる気もしない。体重も退院してからも下がる一方だ。元々70kg後半だった体重が、今では60kg前半に落ち込むときもある。まずは最低限の体力を取り戻さねば。

前途はそれなりに多難だ。

離婚2(現在の心境)

離婚して大層落ち込んでいるかと言えば、さほどでもない。もちろん寂しい・侘しい・悔しいといった気持ちはあるが、比較的落ち着いているということだ。

今回の再発の時点で恐らくはこうなるだろうなという覚悟(諦念)があったのと、発病してからの2年間で余りに多くの苦痛があり過ぎて、僕の心は不感症に近い状態になっているからだ。基本的に何があっても動揺しないし、さほど悲しみも感じない。

感情とは海面の様なものだ。海面には凪もあるし時化もある。ただ今の僕の心は海の底にある。海の底は底だからそれ以下はない。だから何の変化もない。

当然、この状態がいいとは自分でも思っていない。今はある種自己防衛的で一時的な状態だと考えている。最低限の感情の起伏は人生を豊かに送るためには必要だが、上手く感情を取り戻せるのは、また人生が回り出してからだと思う。

 

しかし、全ての感情が消えてしまっているかと言えば決してそうでもない。以前に何かの本で読んだことがある。喜び・悲しみというのは時間とともに減衰して、いずれは忘れられていく感情だが、怒り・恨みというものはノイズの様なもので、ふとした時に顔をもたげる一生消えない感情らしい。

このノイズは普通に生活ができているときは当然気にするべくもないが、今のようにひたすら自分自身と向き合う時間ばかりで、心が弱っている状態だと、色々な怒り・恨みの感情がフィルタリングできずに押し寄せてきてしまう。今はこの負の感情にひたすら耐えている状態だ。病気での体調の悪さと相まって、非常に苦しい。

 

生きてさえいれば、時期が来れば、必ずまた人生の歯車が上手く噛み合い出すはずだと思っている。ただ、それがいつなのかは分からない。1年後かもしれないし、10年後なのかもしれない。その時をじっと待ちながら、今はできる範囲での努力を重ねている。

今はただ深く暗い海の底から明るい水面(みなも)を夢見る。

離婚1(報告)

色々とあり離婚をすることになった。

今回の再発が決定的な原因になったのは間違いない。

入院・治療と並行していた事案なので本当に精神的に参った。

がん・離婚と人生で1度あるかないかのことが同時に進行していたのだ。

今はただ疲れた。

落ち着いたら少しずつ追記して行きたい。

10/30 味覚記念日

放射線終了から68日目。

入院中に行ったラーメン屋に行った。


日記を読み返すと、あの時の衝撃を思い出す。あれから全く味がしないという苦痛をひたすら味わい続けて3ヵ月近く経つのだ。苦しい日々だった。

最近は、何となく甘味も感じることもあるし、塩そのものを舐めると微かに塩味もする。コーヒーを飲んだら仄かな苦みも感じる。ある程度味覚が戻りつつあるのだろうと思う。でも本当に戻ってきたのかどうか確信を持てない。味覚を失ってから3ヵ月以上経つので、味が「そもそも」どういうものだったかが分からないのだ。

 

ということで、以前のラーメン屋に来て、実際に食べてみてどう感じるか実験してみようとなったわけだ。そして、実際に食べてみると、何となく味がする気がする。ラーメンを食べているという気がする。とても不思議な感じだ。

この日を待ち望んでいたが、こんなにもアッサリした瞬間だったとは。

幻痛」という言葉があるが、僕が感じているものも、味覚の復活を願う余りに脳内物質で創り出された「幻味」ではなかろうかという気になってくるくらいの微妙さだ。しかし、自信は持てないが、多分味はしているのだ。一応味覚が戻ったという区切りにはしてもよいのかもしれない。 

 

『この味がするね』と君が言ったから十月三十日は味覚記念日

10/20 モンスターギガ

放射線終了から58日目。

鳥獣戯画」を見に九州国立博物館に行ってきた。

以前に東京国立博物館で開催されていて、見に行きたいと思っていたのだけど、陽子線治療が終わった直後ということもあって叶わなかった。しかし、まさか東京の次に福岡に来るとは。太宰府の博物館であるという「格」があったから2番目に来てくれたのだろう。太宰府と道真公の威光は1000年経っても健在なのだ。

決して体調はいいとは言えず、むしろ最近は悪いほうではあるが、二度とない機会なので無理を押して見に行くことにした。休日だと確実に混むので、病人の特権を活かして、空いている平日のど真ん中に行くことにした。

 

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行ってみて初めて知ったのだが、何と前期と後期に分かれていて、2回来ないと巻物全部を見ることができないらしい。やり方がセコくないですか?

前半後半に分けなければいけないほど長い巻物なのかと思いきや、2~3分程度で見終わってしまった。後ろから係員が早く移動するようにと急かすこと急かすこと。後は抱き合わせの展示物が延々と続く。一回で全部見せてくれてもバチは当たらないだろうにね。この国で芸術家が育たない理由もこういう小さなところからも垣間見える気がした。

平日と言えどもそれなりに待ち時間が長かったので、見終わった後は疲れてぐったりしてしまった。しかし、この疲労に見合うだけの価値があったかと言えば、正直微妙ではある。これから見に行こうと思っている人には余りお勧めできない。 

誤解の無いように言うが、展示物自体は素晴らしく、半分であろうとも見る価値があるものだ。ただ、運営が残念でならない。価値をまさに半減させている。

 

とは言えこの体調の中、無理を押して見に行った僕には多少のご利益があるに違いない。きっと極楽浄土に行けることだろう。いや、半分しか見れていないから行けるのは半分か(笑)