30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

12/8 障害年金について

放射線終了から107日目。

以前入院中に障害年金について少し書いた。


知り合いの社労士さんから紹介して頂いた、障害年金に詳しい社労士さんに連絡をとって相談をしてみた。結論を言えば、現状では受給は不可能。僕もある程度調べていて、無理だろうという予想はしていたので、まあ予想通りと言ったところだ。

がん患者が障害年金を受給するには、がんにより障害があると認識できる「客観的な証拠」が必要となる。例えば、血液検査の数値が極端に悪かったり、外見からして明らかに体の一部が欠損している状態でしか受給できないようだ。この条件では、正直ほとんどのがん患者は受給は不可能だろう。

他にも色々教えて頂いたが、鬱病障害年金を比較的受給しやすいらしい。鬱病の場合は、医者の診断という「客観的な証拠」があればいいようだ。「客観的な証拠」が「医者の主観」であるとは、がんと比べて基準が余りにも違いすぎる。誤解して欲しくないが、鬱病で受給している人を非難しているわけではない。

むしろ、がん患者が受給できるハードルが高すぎるのだ。がんに対する評価は昔のものを使っているものも多く、現状とマッチしていないとその社労士さんも言っていた。この状況もがん患者の就職と同じで、制度が整ってくるのを待つしかないのかもしれない。

 

しかし、余り想像したくはないが、僕だって数年後に状況が変わって貰えてしまう可能性だってあるのだ。僕は、意識する・しないに関わらず、人生で色々な布石を打ちながらここまでやってきたと思っている。その布石は僕が完全に人生から滑り落ちることを防いでくれている。

だから、今回こうやって行動を起こし、障害年金に詳しい社労士さんと繋がりができたことも、将来の布石としていつかは役に立つのかもしれない。もちろん役に立たないことが一番いいんだけどね(笑)

12/4 味覚の状態

放射線終了から103日目。

以前に少し味覚が戻ったという日記を書いたが、あれから味覚にはほとんど変化がない。味覚が戻ったら「放射線終了から〇〇日目」という表示を消そうかと思っているのだけど、まだまだ消すのは先になりそうだ。少なくとも年は越すだろう。

 

肝心な塩味・甘味の味覚が戻ってきていない。

塩味は、塩そのものを舐めた時しか感じることができず、食事に含まれる自然な塩分はほとんど感じることができない。その一方で、甘味は砂糖を舐めても全く味がせず、野菜などの自然な甘みしか感じることができない。逆だったらいいのに(笑)

もう放射線が終わって3ヵ月以上経つが、ここまで戻らないということは、もう味覚の打ち止めになってしまったのではあるまいか。味覚が治療以前の水準に戻ることはないのは理解している。医師によると8割程度は戻るという説明だったが、当然個人差があるだろうから、ここが自分の上限ではないのだろうかという恐怖がある。

同病の方も半年くらいかけて少しずつ戻っていったという話をされていたので、そのようなものなのかもしれない。しかし、ここ1ヵ月何の変化もないという事実は、僕を不安にさせるには十分だ。

 

味覚障害の他にも、手術の後遺症で顔面の右下が麻痺しているので、食べかすが口の右下に大量に溜まり、食事の度に指で掻き出さなくてはならないという問題もある。この作業の度に人間としての尊厳が失われたような気持ちになり、とても虚しくなる。今は食に対する楽しみは一切ない。生きるための作業だ。

食事がこんなにも苦痛なものだったとは。

Eat to live, not live to eat.

離婚3(現在の心境2)

小林麻央さんのブログに

「ごめんね。病気になっちゃった妻で」

という記述があった。

この気持ちは痛いほど分かる。僕もやはりこの感情に苛まれ、病気である僕と結婚させてしまった元妻に対する負い目が常にあった。なので正直に言うと、離婚により僕は「夫」という立場から解放されてホッとしている部分もある。

責任を放棄したと非難する向きもあるだろう。やはりそのように現実でも言う人がいて、その手の非難は甘んじて受けることにしている。ただ、以前のように働けない中、経済的な安定を図るのはやはり大変だったし、できるだけ健康そうに振る舞わなければならないという苦しみもあった。頑張る夫という役割を果たそうとした。でもどうしようもなく苦しいことも多かった。

 

僕のがん患者としての振舞いは100点だと思う。死にたくないと喚き散らしたこともない。金銭的に誰にも迷惑をかけず自分で全て完結させた。病気に対する愚痴により家庭を陰鬱にするということもなかったと思う。再発しても淡々と治療を受け、またしても誰にも迷惑をかけることはなかった。全て本当に淡々としていた。100点満点だ。

しかし、それは病人を基準とした評価軸であって、一般社会を評価軸とすると20点くらいまで下がる。上手く働けないし、働けてもパフォーマンスはかなり低い。収入も当然低い。時々体調が悪くなる。僕はしばらくは仕方のないことだと考えていた。

しかし、僕の元妻の評価軸は一般社会のほうだった。これは元妻を非難しているのではない。ただ二人の話し合いの場をきちんと持ちさえすればよかったのだ。もっとお互いの意見を率直に言えればよかったのだ。評価軸の擦り合わせをすればよかったのだ。この点において相手に配慮を求めるだけだった僕と元妻は両方とも悪い。

そして、元妻の要求水準は、僕が出せるものより少し高かった。僕は途中で疲れ果ててしまい、そして再発により全てが終わった。

 

しかし、離婚して悪いことばかりかと言えばそうでもない。まず、昔からの貧乏暮らしの影響で僕一人ではほとんど金を使わないので、経済的な安定が図れる。そして何よりも体調の悪いときでも、自分だけのために昼間からずっと横になっていられる。誰も気にする必要がない。誰も気にしなくてよいのは、寂しくもあり、楽でもある。

 

今の僕は間違いなく不幸だ。誰がどう見ても不幸だ。売れない脚本家が書くような典型的な不幸像だ。余りに典型的過ぎて自分でも笑ってしまうことがある。

「不幸話」とは当人が幸福な時に「昔は大変だった…」と述懐されるものだ。だから、僕はこの現在進行形の不幸を「将来の不幸話」にすべく、今からの人生を幸福なものにしなければならないと思っている。

11/23 がん患者の仕事

放射線終了から92日目。

会社と話し合いの場を持ち、12月の検査で特に問題がなければ、年明けより復職することになった。僕の仕事は多少特殊なので、別に今まで通り東京に居なくても、福岡を起点にして西日本の仕事ならばある程度こなすことができる。

当面は福岡に拠点を置きつつ、フルタイムで働くのではなく、仕事があるときだけスポット的に働くことになる。そして、実際に復職してみてこれ以上続けるのが難しいと思ったら、潔く「決断」を下すことになるだろう。

  

率直に言うと、再発した時点で現職を続けるのはもう難しいだろうと思っていた。今の仕事では色々な客先に直接乗り込んで、長期間客先で作業をするので、ある意味自分自身が商品になっていると言える。しかし、そこに僕のような見るからに病み上がりの人間が送り込まれてきたらどうだろう。

それはある意味欠陥品と分かって商品を客先に納入するようなもので、クライアントからすれば当然あり得ないことだ。鼻水を垂れ流し、水も頻繁に飲み、すぐ頭が痛くなる、体力もない、長時間の労働に耐えられない人間を誰が信用するだろうか。

僕が復職に際して極端にセンシティブになっているから不安を覚えているというわけではない。社会というのはそれなりに厳しいものなのだ。僕はそれをこの2年間味わい続けてきた。とは言え、復職のチャンスが与えられたのだから、まずは挑戦するしかない。

 

そして実はと言えば、復職の検討と並行して、がん患者の就職の現実を知るために、がんセンターでハローワークの担当者を紹介してもらって、面談に行ってきたこともある。

がん患者の就職は「長期療養者等就職支援」という事業の括りに入れられていた。担当の話を聞いてみたが、がん患者のために仕事を取ってくるのではなく、ハローワークにある仕事の中からがん患者に向いていそうな仕事を紹介するものであった。つまり、ハローワークの仕事の中からさらに少ない仕事しか割り当てられない。言い方はかなり悪いが、必然的に「絞りカス」しか残っていない。

がん患者が求めている働き方は、①比較的短い時間で毎日働く ②週に3~4日働く の大抵どちらかだ。なので、既存のリソースを割り当てる現在のやり方ではなく、新たに専用の求人を開拓していかないと、がん患者の要望とマッチすることは少ないだろう。望ましいのは、例えば本来1人でやる仕事を2人のがん患者でシェアするなどの働き方だが、このような働き方こそ行政が介入しないと実現は難しい。国ががん患者の就職支援に乗り出したのは本当に最近のことなので、今後の進展に期待したい。

 

幸い(?)離婚して収入水準のことは気にしなくてよくなった。

これからは、今までのように馬車馬のように働いて高収入を得る暮らしから、適度に働いて適度な収入を得る暮らしにシフトしていく必要がある。でもそんな都合のいい働き方が、がん患者に用意されているのかは分からない。

今はできることからやっていって、駄目だったら軌道修正していくしかない。

11/17 博多駅前

放射線終了から86日目。

用事があり博多駅に行ってきた。

折角なのでミーハーながら、福岡市民として博多駅前の陥没現場がどのようになっているか見に行くことにした。市民は税金の使い道を監視する義務がある。偉そうに言う割には、今年は全く税金払ってないけど(笑)

 

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凄い復旧ぶりだ。周囲に監視員がいたのと、テレビに映っていたセブンイレブンがあったので分かったが、それがなければどこが陥没現場なのか分からない。

駅前のど真ん中で起きた事故なので注目されたが、工事自体はさほど難しいものではなかったのだろうと思う。そもそも福岡は炭鉱跡が多く陥没が発生しやすいので、埋め戻しのノウハウが蓄積されていると聞いたことがある。

むしろ、この手の都市型災害で難しいのは市民感情のコントロールだろう。今回の迅速な復旧は、何より市民が協力的だったのが大きいように感じる。周囲からの不満も聞こえてこず、現場で頑張っている人を応援する声ばかりだったように思う。市民の協力が得られれば、あとは金と人をかけるだけだ。 

 

僕の友人が言っていた名言

金で解決できることは金で解決しろ
金で解決できないことが本当に大切なことだ

今のところ人生で5本の指に入る人生訓だ(笑)

僕の心に開いた穴も金の力で埋めることができればいいのにと思う。