30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

4/10 桜

放射線終了から228日目。

僕が昔住んでいた家の近所は桜の名所だった。近くを通ることがあったので、花見がてら昔の家はどんな感じだったかと少し覗いてみることにした。

昔のボロ家を見て、色々な思い出がよみがえってきた。ここに住んでいた頃は、父親がまだ働けていて、裕福ではなかったがそれなりに幸福な日々だったように思う。僕はもうこれからの人生で、あの頃のような「普通の日常」を手に入れることなどないのだなと思うと、胸がとても苦しくなった。

母親と父親に挟まれて、手を繋ぎながら桜を見に行ったことを思い出す。

 

僕は自分の病気やそれに伴う離婚などの苦痛には耐えることができる。自分がただひたすら我慢すればいいだけの話だ。ただ、母親に対してはいつも申し訳なく思う。

母親にはもう親孝行らしい親孝行もしてやれないのかもしれない。孫をみせてやることも難しいのかもしれない。母親より先に死んでしまうのかもしれない。そう思うと、とても申し訳ない気持ちで一杯になり、涙が出てくる。

 

桜は儚いからこそ美しい。と誰かが言った。

でも泥まみれで必死に生きるドブネズミも美しい。

足掻きながらも頑張るしかない。しんどいけど。

3/18 現状

放射線終了から206日目。

リンパ郭清・放射線治療から半年、陽子線治療からは2年近く経過した。参考になるかどうかは分からないが、最近の体の調子でも書いておこうと思う。

元々視力が悪いのもあるが、陽子線の影響で極端に視力が下がったという実感はない。僕の腫瘍は目の方に行かずに、脳に方に向かっていたというのも関係しているだろう。ただ、陽子線の副作用で視神経が焼けているので涙が酷い。

嗅覚は相変わらず無い。多分一生戻らないのだろう。

鼻水は、前に比べると幾分かマシになったが、相変わらず流れ落ちてくる。ただ、鼻づまりは殆どない。鼻水が激しいのと鼻づまりが酷いのはどっちがマシなんだろうか。

腫瘍が癒着して塞がっていた鼻の穴が、前回の入院で開通しているので、少しは呼吸が楽になった。イビキも随分と減ったようだ。

放射線の影響で唾液が減っていることもあり、口腔内の定期的なケアが必要不可欠とのことなので、がんセンターで紹介してもらった歯医者に定期的に掛かっている。

半年経って、唾液の量は大分戻ってきたようだ。放射線の影響が歯茎に及んでいるのか、歯根が部分的に露出するようになってしまったため、プラスチックで埋めている。

嚥下力が落ちているのか、食事の最中にむせることが多くなった気がする。

味覚

大分戻ってきたと思うが、甘味・塩味は5割くらいしか感じない。この2つが一番戻って欲しいのだが。もう放射線治療から半年近く経つ。果たして戻るのだろうか。

リンパ痕

医者の友人曰く「かなり綺麗な傷口」とのことだったので、先生の腕がよかったのだろう。しかし、違和感は半年経った今でも消えない。きっと一生消えないのだろう。顔面の一部麻痺は相変わらず続いている。

身体本体

リンパ切除のせいなのか、体温調整が上手くできなくなったように感じる。寒気を感じることが多くなり、少し辛い物を食べただけで汗が止まらないなどチグハグな感じだ。

食欲は少しずつ戻っているので、体重が60kg後半くらいまで戻った。

不定期に頭痛が襲ってくる。何もできないくらい頭が痛い時もある。ずっと頭にモヤが掛かっているような感じがして、病気前に比べると頭の働きが鈍った気がする。医者が言うには脳に影響が及ぶことはないとのことだが、僕の実感としてはある。

というわけで

これでもかというくらいに首から上に影響が出ている。正直言って結構しんどい。でも、傍からは、鼻栓をしている以外は健康人に見えるようだ。いいのか悪いのか。

 

僕はこれだけの苦痛が重なっているにも関わらず、気が狂わずに生きている自分が信じられない。いや既にもう狂っているのかもしれない。狂っているからこそ、この針のムシロが敷き詰められた道を淡々と進んで行けるのだ。

3/2 定期健診

放射線終了から190日目。

色々とバタバタしており、更新が滞ってしまった。最近は容態も比較的安定しているので、更新がなくても突然死したとかではなく、サボっているだけだと思って欲しい(笑)

 

今日は九州がんセンターにCTを受診に行ってきた。CTは、MRIやPET-CTと違って微妙に費用が安いのが助かる。PET-CTなんか3万近くするからね。

結果は良好で、腫瘍も引き続き縮小傾向にあるとのこと。また、特に転移も見られず。ここ3ヵ月でかなり状態が良くなっているようだ。前回のCTスキャンと比較しても、素人目にも腫瘍がかなり小さくなっているのが分かった。それに従って鼻水の量もかなり減ってきている。これが地味に一番助かる。

 

さて、状況が多少はマシになりつつあるということで、拠点を福岡から東京に戻すべきかどうか迷っている。僕が病気になる前は、母親を福岡に一人残していることが気掛かりで、どの道いずれは福岡に戻るつもりでいた。だから、病気をきっかけに福岡に完全に軸足を移すというのも悪くない選択なのかもしれない。

しかし、色々検討はしてみたものの、福岡である程度の収入を得つつ働くのはほぼ不可能であることも分かった。勿論母親のことは気掛かりだが、今の僕は人を支えられる状況ではない。何より今は僕が経済的に立ち直るのが最優先だろう。このまま福岡に残っても、親子共々ジリ貧になっていくしかない。

まだ決めたわけではないが、気持ちは半々くらいだ。福岡は僕の故郷だし、客観的に見てもいい街だと思う。ただ今の僕にとっては苦しい思い出ばかりの街だ。今の僕が福岡に残ったとしても、明るい未来があるとは言い難い。(がんなんだから、どのみち明るい未来なんかないだろうというツッコミはなしで(笑))かと言って、東京に戻って一人で生活するのも、健康の面からは、やはり不安が残る。

どちらの道を選んでも苦労は免れないだろう。しばらく迷おう。

2/9 電験2種

放射線終了から169日目。 

第二種電気主任技術者(通称:電験2種)という試験に合格した。

世間一般の方には何のこっちゃ?だと思うが、この資格があれば、設備管理者として余り体力的な負担をかけずに働ける仕事に就ける。設備業界では最強に近い資格だ。

これを以って転職とかそういう話ではなくて、僕にとってはセーフティーネットが増えた感じだ。仮にがんが再発して失職し、職歴上の空白期間ができたとしても、がん患者だろうが何だろうが、再就職には何ら問題がなくなった。

 

そして、試験そのものに受かったことも嬉しいが、病気や長期の入院で自分の能力・集中力など諸々が低下していると思い込んでいたので、まだまだ衰えていないのだと、少し自信が復活したことが何より嬉しい。

試験があったのは去年の11月で、がんセンターから退院して2ヵ月後。放射線の影響で食事もろくに取れず体力的にも最悪だったし、また離婚も重なり精神面も最悪で、心身共にこれ以上ないくらい最悪な状態だった。正直全く気力も体力も湧かず、受けるのをやめようと思っていたのだけど、僕の生来の諦めの悪さも相まって、試験の2週間前から重い体にムチ打って無理矢理勉強を始めた。

試験中のことは、今でもありありと思い出す。頭痛はするわ、鼻水は止まらないわ、喉がカラカラになるわで本当に大変だった。事前に病気のことを申し出て、特別に試験中に水を飲む許可を得たのだけど、飲むたびに挙手をして、試験官を呼ばなくてはならない。そして、鼻水が大量に漏れ出して、解答用紙にべっとりと掛かったときはさすがに気持ちが折れて、解答用紙をぐちゃぐちゃに丸めて放り投げて帰ろうかとも思った。

試験そのものよりも、はっきり言って自分との闘いだった。午前・午後と試験があるのだけど、午前が終わった時点で頭痛が凄くて、もう帰って寝ようかと思ったくらいだ。試験が終わった時は、出来がどうこうよりも、とにかく頭が痛くて、疲労困憊でフラフラしていて、早く家に帰って寝たかった。

 

しかし、諦めずに受験して本当によかった。合格した以上に、最悪の状態で乗り切ったということが今後の自信に繋がると思う。僕は本当に諦めが悪い(笑)そして、そんな諦めの悪い自分のことは結構好きだ。

1/29 春節

放射線終了から158日目。

街中にやたらと中国人が多いと思っていたら、春節に入っていたようだ。

博多港から来たと思しきバスが続々とホテルに横付けされていく。なかなか壮観な光景だ。福岡と言えば、昔はほぼ韓国人しかいなかったが、最近は中国人・韓国人と半々くらいになったように思う。見分けはすぐにつく。

韓国人は大体スキニーなズボンを履いていて、比較的お洒落だ。中国人は少し野暮ったい感じか、デカくブランドロゴの入った服を着ている。そして何より声がデカい(笑)

 

僕自身は中国には仕事や旅行で何回か行ったことがある。

中国人は日本では色々悪く言われているが、僕は結構好きだ。

彼らは、思ったことは率直に言ってくるから楽だ。裏表が無い。仕事でやり合っても、それはそれで後腐れは無いのでスッキリしている。日本人のように表面上は愛想よく振舞っていて、裏でネチネチ文句を言ったりしない。

中国では何回かボラれたことがある。ボラれたとは言っても、白タクで相場より多めに請求されたとか、商店でお釣りを誤魔化されたとかその程度のことだ。それで腹立たしい気持ちになるかと言えば、別にならない。「あぁ俺の注意が足りなかったな」と思うくらいだ。気付かなかった自分が悪い。

彼らを見ていると、とてもたくましく、自分の力で生きていくことの大切さが分かる。彼らは中央政府を全く信用していない。他人も信用していない。基本的に自分自身しか信用していないのだろう。「他者」を信用していない。

 

日本人は「他者」に対して、無謬性(誤りがないこと)を求めすぎだと僕は思う。例えば、バイトにまで完璧性を求めるのは異常としか言いようがない。さらに「先生」に対しては一切の誤りを許容しない。「先生」とは、教師・医者・弁護士・政治家などが代表的だろうが、医者なんか自分と同年代くらいだったら、診断は基本的には多少は疑ってかかったほうがいい。自分が積んできた人生経験と同値ぐらいと考えると、まだまだ駆け出しで、間違えるだろうなんてことは当然に予想できる。

みんな間違えるよ。だって教師も医者も弁護士も政治家も人間だもの。

 

そして、日本人は「自ら」に対しても無謬性を求める。

・大学中退したら終わり

・新卒でいい会社に入れなかったら終わり

・離婚したら終わり

・リストラされたら終わり

そして、現在の地位から滑り落ちないように汲汲として過ごしている。別に多少の失敗で人生終わったりしないのだけどね。しかし、以前は僕も間違いなく、滑り落ちないように必死だったのだ。あの時の人生って幸せだったのだろうか。失敗しないことだけに気を遣って、汲々として生きて行く人生って幸せだったのだろうか。今は分からないが、死ぬときにまで答えが出てればいいとは思う。

僕は自らの落ち度ではなく、病気により強制的に「失敗」側に叩き落された。でもまあ、これはこれで悪くないのではないかと思っている。もう人と同じ生き方をしなくてもいいという一種の気楽さもあったりする。

とは言え、まだ人生を捨てたわけではない。今は少し辛いが、中国人の図太さを見習いながら、また前に進んで行きたい。きっと何とかなるさ。

中国人の豪胆さといい加減さは見習うべきだと今日改めて思った。

 

中国人の図太さを見習って、Amazonの欲しいものリスト作ってみました(笑)

あまりに気の毒だから援助をした​いという奇特な方。泣いて喜びま​す。

【欲しいものリスト】