読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

30代ひねくれ者のがん闘病記

性格が捻くれた30男のがん闘病記 転移で第2章スタート

病気が見つかった経緯

嗅神経芽細胞腫について がん闘病記(入院前)

きっかけは鼻水が止まらないことからでした。

最初はただのアレルギーだと思い、近所の町医者に行って薬を処方してもらっていました。しかし全く改善の予兆が見られず、鼻の奥の方に出来モノのようなものができて症状がどんどん悪化してきたので、町医者を再訪し再度薬を処方されました。しかしこれでも全く良くならない!ということで3回目の訪問を果たし、全く治らずに困っている旨を切々と訴えました。しかし、この医者は症状が悪化の一途を辿っているのに、ろくに診断もせず前回と全く同じ薬を処方するというトチ狂った行動をとろうとしたのです。

「このヤブが!ぶち殺すぞ!」とは言いませんが、温厚で知られる流石の私も不服を強い口調で申し立て、まともな診断を下せる大学病院を紹介させました。この病気になってわかるけども耳鼻科ってのは個人の技量がモロに出る科なのだなぁと思います。耳鼻科でヤブに当たったときは最悪ですよ皆さん。なぜかいつでも空いていて待ち時間無く受診できラッキーと思っていたのですが、そもそも客がいないことを怪しむべきでした。そこは反省しています。

 

その後大学病院で精密検査をした結果「がん」と判明したのですが、この先生が単純な鼻のデキモノと決めつけず、念のため病理検査をしてくれたお陰で発見できたのです。腫瘍は脳の内部まで「浸潤」しており、予想以上に重篤でした。より専門的な病院で処置すべきだということで、別の大学病院を紹介してもらいました。

次の大学病院で、脳外科と耳鼻科の先生のコラボで腫瘍を切断する手術を実施する予定でした。しかし、症例が少ない病気なので院内で多少議論があったらしく、陽子線で焼いたほうが生存の可能性が高いという旨を、手術の4日前に伝えられました。

最終的に千葉の国立がんセンターで陽子線メインの治療をすることになった、そんな顛末です。「がん」と告知されたときの私の心境はまた別途記述したいと思います。

 

因みに私は高校の時に、千葉の国立がんセンターに見学に行ったことがあります。私の高校の修学旅行は東京なのですが、クラス毎に決めていい自由時間が1日ありました。殆どのクラスは渋谷とか原宿とかで遊んでいましたが、私のクラスの殆どが医学部志望でしたので、何と多数決で国立がんセンターに行く羽目になったのです。正直「なんで工学部志望の俺が行かなきゃいけねーんだ!」と思って、説明中は殆ど寝ていたのですが、あのメンバーの中で一番深く係わるようになるとは皮肉なもんですね。

寝ずにきちんと話をきいておけばよかった(笑)