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30代ひねくれ者のがん闘病記

性格が捻くれた30男のがん闘病記 転移で第2章スタート

3/19 九州がんセンター

昨日、わが故郷福岡に無事に戻ってくることができた。

戻ってこれたのは良いのだが、こちらに居るときに万が一重篤な状態になった場合、病気が病気なので通常の医療機関では対応できない可能性がある。ということで、福岡での掛かりつけの病院とするために「九州がんセンター」を以前の病院に紹介してもらっていたのだ。

そして、今日がその初診日。本日は「治療」と言うよりも、さしずめ担当医との初顔合わせと言ったところ。陽子線の影響で視神経が焼けて右目の涙が止まらないのと、体力的にまだ運転には不安があるので、申し訳ないながらも母親に運転して連れて行ってもらうことにした。情けない限りだ。

 

福岡都市高速の高架下に沿って進んでいくと、病院があると思しき場所に古びた学校の様な建物が見える。よもやこのボロい建物が天下の「九州がんセンター」ではあるまいな?果たしてその予想は残念ながら当たっていた。これが九州のがん治療を担う中心病院かと思うと慄然としたが、それだけ歴史がある病院なのだと前向きに捉えることにした。

中に入ると、全体的に建物が狭い。恐らく50年くらい前の基準で作られているので、天井も低い。歩いているとあちこちで頭をぶつけそうになる。

また、古いだけあって病院がシステム化されていない。今どき大病院は電光掲示板で番号が表示されるので、自分が呼ばれたかどうか気を揉む必要はなかったが、この病院では窓口で口頭で名前を呼ばれる。しかも担当者の声が小さくて全く聞き取ることができない。30代の僕ですら聴き取れないのだから、患者の大部分であろう高齢者なんか全く聞こえていないんじゃないか?

 

第一印象は色々と不安になるような病院ではあったが、幸いにして僕の担当医になって頂いた先生は極めて信頼できる方であった。年齢は50代だろうか、経験も極めて豊富で信頼に足る人物だと僕は判断した。

考えてみれば、病院が古かろうが・狭かろうが・電光掲示板が無かろうが、そんなものはどうでもいいのだ。そこにいる「先生」が素晴らしければ、それが「全て」なのだ。東京で設備の整った大病院にばかり行っていたので、考え違いしていた自分を恥じた。

 

一通り検査をして頂いて、鼻が完全に腫瘍で塞がれているので、内部が観察できず、今後は「髄膜炎」が大いに懸念されるとのこと。要は腫瘍と頭蓋骨が接触して、頭蓋骨の一部が溶けてしまって、そこから炎症が発生するということだ。「髄膜炎」になってしまったら、正直かなり危険な状態になるだろう。

しかし、僕が入院していた関東の「国立がん研究センター」では「死亡率」や「今後の展望」について率直に質問すると、はぐらかすというか言葉を濁す先生が多かったので、ここまでハッキリ言ってくれると正直却って信頼できる。

何より「博多弁」で話されるとなぜか無条件で信頼してしまう。逆に「関西弁」で話されると僕の場合、全てが胡散臭く感じられてしまうのだが(笑)

これから時々お世話になるので、色々率直に質問してみようと思う。