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30代ひねくれ者のがん闘病記

性格が捻くれた30男のがん闘病記 転移で第2章スタート

9/17 食事という行為

放射線終了から25日目。

味覚は相変わらず戻らない。さすがにウィーダーインゼリーやお粥ばかりでは体がもたないので、色々無理して試してみた結果、うどんが一番食べやすいことが分かった。同じ麺類でもラーメンは駄目だ。見た目と味(ここでは当然、無味)のギャップが大きすぎて、食べていると気持ち悪くなってしまう。福岡のうどんは、関東と違ってダシも薄いので、味のギャップも少なく、讃岐と違って麺が軟らかいので、嚥下もし易い。味覚障害者にはうってつけの食べ物だ。

ということで、昼食は近所のうどん屋にほぼ毎日通っている。最近は通い過ぎて「いつもありがとうございます!」と言われるようになってしまった。

店主は僕が味を気に入ってるから通っていると思ってくれているのだろう。まさか食べていて全く味が分かっていないとは言えまい。申し訳ない限りだ。しかしながら、毎日毎日同じものを食べているのだが、全く飽きる気配が感じられない。逆説的だが、味がしないのだから、永遠に「飽きる」ことなど無いのだ。水を飲んで飽きないのと同じだ。1日3食だって、同じうどんを食べ続けることだってできる。

 

以前アメリカ人が、「ソイレント」なる食事が不要になるという触れ込みの完全栄養食を開発したと聞いたことがある。今考えても狂っているとしか言いようがない。食事の持っている社会的意義を完全に無視した、アメリカ人らしい狂気に満ちた合理主義だ。ハンバーガーセットのポテトとケチャップを「野菜」と定義するような連中には、食事の有り難さと味覚を失う苦しみなど理解できんだろうね。

食事をこんな風に蔑ろにする輩は味覚を失ってしまえばいい。そして、そこで初めて食事がどれだけ大切なものだったか気付け。

しかし、近未来を描いた映画や小説か何かで、「味覚を失わせる懲罰」の設定を導入したものって無いだろうか。正気を保っていた主人公が、味覚を失ったことでじわじわと精神が崩壊していく様を描くのだ。星新一の小説で似たようなものがありそうな気もする。そして、こんな狂ったこと書いている時点で僕の精神状態もかなりヤバいな(笑)

 

何か話が無茶苦茶に逸れまくってしまった(笑)とりあえず味覚が戻ってうどん屋に行ったら、店主に敬意を込めて「いつも以上においしかったです」と言おう。