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30代ひねくれ者のがん闘病記

性格が捻くれた30男のがん闘病記 転移で第2章スタート

離婚4(結婚前の心境)

元妻が病人の僕と結婚してくれたことには心から感謝をしている。

 

当時の日記を読み返すと、僕は元妻のことを「ギャンブラー」のようだと形容しているが、ギャンブラーは少なくとも自分が勝つと思っているものに賭けるのだから、正しくない表現だったかもしれない。

なぜなら、あの時点で僕の「人生の期待値」は確実にマイナスだったからだ。5割以上の確率で死に、仮に生き残っても高い確率で残りの人生は苦しいものになる。負けると分かって賭けるギャンブラーはいない。

正直なところ、「自己犠牲の精神に溢れた聖女」だと思っていたのだ。ただ、このような表現をするのが恥ずかしく、当時の日記では少しヒネた表現をしたのだろうと思う。 

 

元妻は、僕の母親に対して、結婚が決まると同時に僕が病気になってしまった状況に対して「自分がドラマの主人公になったみたいです」という話をしていたらしい。自分の置かれた状況に対する比喩でなく、多分本当にそう思っていたのだと思う。ただ、当時の正直な気持ちを述べるならば、その考え方は少し危険だと思った。

「世界の中心で愛を叫ぶ」「恋空」「余命1ヶ月の花嫁」など、闘病を題材とした映画・ドラマは枚挙に暇がない。そして例外なく闘病者は死ぬ。

逆説的ではあるが、この手の映画・ドラマの中でのハッピーエンドは「闘病者の死」でしか達成し得ない。「死」により全ての苦労は思い出として昇華され、残された主人公は想い人の遺志を継いで前向きに生きる…それでいいのだ。視聴者は、仮に生き残ったとしても、その後に待ち受けているドロドロとした苦労に気付いている。そんなもの見たくはないから、死んで終わりでいいのだ。一番「美しい」終わり方だ。

なお、「ドロドロとした苦労」は僕が現実世界で体現している通りだ(笑)

 

だから、元妻に僕が「死んだとき」の覚悟じゃなくて、「生き残ってしまったとき」の覚悟があるのかどうか、そちらのほうが不安だった。

とは言え、当時の僕は死ぬか生きるかの状態で、生き残ったらそれはそれで考えればいいという逃げに走ってしまった。何より絶望の中で「結婚」という希望に縋りたかった。お互いにもっと深く考えるべきだったかもしれない。