30代がん闘病記

転移で第2章スタート

6/4 悲観と楽観

このブログは基本ネガティブだ。そりゃそうだ。そもそもこのブログは、病気に係る様々な感情を吐き出すために始めたのだから、ネガティブな部分が多くなってしまうのは仕方がない。ただでさえ現実世界で無理して生きているのに、仮想空間でまで見栄や虚勢を張ったりするのは本末転倒だろう。

読者の方は僕の駄目な部分だけをひたすら見ていると思うが、現実世界ではそれなりに真っ当な生活を送っているので安心して欲しい(笑)

 

たまには現実世界の自分を褒めることでも書いてみようか。

病気になってから自分で一番よく頑張ったと思うのが、金銭面を完全にコントロールしていることだろうか。下世話な話をすると、ガンを始めとした重い病気の悩みは、イコール金の悩みに尽きる。金のない時の人間の醜さなんて酷いもんだからね。金銭面の問題が大きくないことが、精神面の安定につながっているのは間違いない。

そもそも病気以前に、僕は自分で環境をコントロールすることに慣れている。僕の実家は有体に言うと貧乏だから、人に頼らず自分の力で何とかするということが骨の髄まで染みついているのだ。

思えば、大学・大学院もほぼ金を払わずに過ごした。授業料は成績優秀で免除してもらったし、育英会奨学金を貰って、それもまた成績優秀で最終的には免除してもらった。車の免許も大学院卒業の直前に自分で金を出して取った。とにかく全部独りでやった。

とまあ僕は努力をすれば大抵のことは乗り越えられると思っていて、実際大体乗り越えてきたのだけど、今回の病気に関してだけはどうしようもない。努力でどうこうできる話ではないからだ。だから正直困っている(笑)

 

思い返せば、僕はよく悲観主義者だと馬鹿にされてきた。僕はあらゆる可能性を考慮に入れて行動しているから、人にはそう見えるのかもしれない。恵まれた環境で育った人には分からないだろう。自分の力で生きているように勘違いしているが、いつまでも誰かの庇護の下にいるような連中はいくらでもいる。

上手く行くことに無根拠に賭けて、実際何か起こってしまった場合は、誰かに頼ればいい。そういうのを楽観と呼ぶなら、僕は悲観主義者と呼ばれて構わない。でも僕に言わせればそれは楽観ではなく、単なる無軌道だ。

 

フランスの哲学者アランの「幸福論」で

悲観主義は気分であり、楽観主義は意志である

という一節がある。

だが、僕の悲観主義は意志に基づくものだとあえて言っておきたい。