30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

9/29 便利死

何とも物騒なタイトルだ。

突然だが、弁理士の論文試験に合格した。

1度目の退院後に何があっても働けるようにと何か士業を取ろうと漠然と考えたのが受験のきっかけで、2度目の退院後の2017年に短答試験を通過、そして今年2018年に論文試験に通過したという運びだ。病気や離婚で肉体的・精神的な不調もありつつ、しかも、働きながらなので中々大変ではあったが、成果として結実して嬉しく思っている。

 

後は口述試験を残すのみだが、口述の昨年の合格率は98.4%らしいので、余程人格的に問題が無ければ通過するとは思っている。ブログのネガティブさからは想像がつかないだろうが、僕は面接は得意中の得意なのだ。でも僕は確率の薄い方を引く運命にあるようだから、最後まで油断はしないつもりだ。

とは言え、先日日記に書いた「信じられない出来事」のお陰で、弁理士資格も必要ではなくなりつつあるのだけど、持っておいて損は無いので、キッチリ取ろうと思っている。

ようやく人生の底・地獄の底を乗り越えつつある。

9/13 山場

信じられない出来事が起こりつつある。

今までの流れからして読者の方は悪い出来事を想像されるだろうが、

珍しいことに、良い出来事なのだ。

 

ここまで上手く行くなんて、余りにご都合主義すぎて、

バブル時代の能天気なコメディーでもあり得ないレベルの話だ。

事情により詳細はまだ書けないが、奇跡が起こりつつある。

でも最後の最後に足を引っ張っているのはやっぱり病気の件。

人生の山場だな。

8/18 友人と会う

福岡に帰省中の高校時代の友人と会った。このブログによく出てくるだ。楽しい時間だった。久しぶりに心から笑った気がする。顔面の半分が麻痺してるせいで、意識して余り笑わないようにしてたから、笑ったのが久しぶりすぎて、変な感じだった。

お互いの最近の失敗談を語って笑い合った。二人とも女性運が悪いのは相変わらず。

考えてみれば、高校時代に席が隣同士だった縁で、それから20年近く付き合いが続くってのも凄いよなぁと思う。僕は工学部、彼は医学部で、学部も異なり、そして、大学・社会人時代も、住んでいる場所も常に離れていて、一緒の場所に住んでいたのは高校時代だけなのだけど、未だに関係が続いているのは、本当に不思議な縁だと思う。

病気で失ってしまった縁もあるのだけど、こういう残った縁を大切にしていきたい。

 

あと、味覚障害の件で、東京にいい病院がないかどうか調べてもらうことにした。考えてみれば、常にがんセンターに頼らずとも、最初からこのルートを頼っておけばよかったんだよな。何で気付かなかったんだろう。高校からの友人という印象が強すぎて、そもそも医者だということをすっかり忘れていた(笑)

持つべきものは信頼できる友人だ。

8/1 真夏の光線

陽子線治療が「公的医療保険適応」になったそうだ。

大枚をはたいて実験台になった甲斐があろうというものだ(笑)

しかし、僕はたまたま対応する保険に入っていたので受けることができたが、お金が無くて泣く泣く陽子線を諦めて、亡くなって行った人も多くいるはずだ。そう考えると複雑な気持ちになる。あと数年早く認可されていれば助かった命もあったのだろう。

人生とは何と理不尽なものであろうか。

 

そして、僕も今のところ生き残っているとは言え、「希望のある人生」とは言い難いわけで、もっと他に生き残るべき人がいたのではなかろうかという気持ちにもなる。とは言え、僕が生き残りに選ばれたことに何か意味があるのだろうと考え、ボロボロな現状ながらも、諦めずに何とか生きていこうとは思っている。

 

ところで、今日は地元の花火大会だった。

あれからもう一年経ったのか。早いものだ。

去年に比べたら前には進んでいるかな。そんな感じ。

7/6 悪い夢

最近は余り精神面が良好ではありません。自分の努力ではどうしようもないことが多過ぎてほとほと参ってます。今回の内容は暗いので、不快に思う方は読まないでください。じゃあ書くなよって話にもなりますが、こうやって書くことで自分の精神が落ち着く面もありますし、思考の整理にもなりますから、ご容赦頂ければと思います。

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